不滅の法燈
今からおよそ1200年前、天台宗を開かれた「伝教大師最澄様」が、比叡山の山中にお堂を建立(現:根本中堂)し、自ら薬師如来ご本尊をお彫りになり、「明らけく、後の仏の御世までも、光伝えよ法の灯しび」と、御心を込められて点灯された尊火である。この灯しびは、私たちに明るい豊かな人生と世界平和を願い点灯され、油断のない人生を送ることの大切さを諭された尊火である。
龍泉寺にこの燈火が分灯されたのは 昭和60年3月30日のことである。(第1次スカウト行脚我が道を行く)
比叡山延暦寺第253代天台座主山田恵諦猊下より、日本で第8番目に龍泉寺に分灯され、 本堂内に安置されあかあかと灯されております。
また、この灯りは全国数か所に分燈されていますが、その中に山形県の通称・山寺「立石寺」があります。長い歴史の中で1571年に織田信長による比叡山焼き討ちがあるが、それ以前に立石寺に分燈されており断火を逃れたという。江戸時代になると比叡山の再興に伴い、法燈の明かりも無事に戻されたという。
当寺では、平成8年の観音堂改築に伴い、慈覚大師円仁(第3代天台座主)の足跡を訪ね山寺立石寺へ行脚を始めた。(第2次スカウト行脚我が道を行く)
そして平成15年5月5日、宝珠山立石寺第69世貫主様により「立石寺不滅の法燈」が分灯されたのである。以来、龍泉寺本堂には日本で唯一「比叡山不滅の法燈」「立石寺不滅の法燈」が燈されております。
この「不滅の法燈」には「油断大敵」の語源もあるとされています。1200年の間、この「不滅の法燈」を絶やさぬよう、毎日、「油」を注ぎ足す緊張感からくるのでしょうか。慣れていること、普段当たり前のように行うこと、日常生活に溶け込んでいることなど、だからこそ気を引き締めて行うことを意味しているのでしょう。そして、この灯りは決められた人が役務によって「油」を注いでいるのではありません。その灯りを気にとめる人々がその都度に油を注ぎ、多くの手によって燈され続けているのです。当寺においても、お檀家のご法事やお正月の参拝者によって油が奉納されるなど、その教えを信仰する全ての方によって燈され守られ続けているのです。
不滅の法燈 分布図
不滅の法燈 証書
不滅の法燈 証書